2016年7月2日土曜日

民族紛争の悲劇が残る街を訪れて【モスタル】

day.154~157 2016.6/20~22 Bosnia Hercegovina/Mostar

クロアチアのドブロヴニクからはバスでわずか3時間。

ボスニア・ヘルツェゴビナの"モスタル=Mostar"という街にやってきました。
ボスニア語でモスタルとは『橋の守り人』という意味で、名前のとおりモスタルは橋を中心に発展てきた町。


街の中心にあるのが"スターリ モスト=Stari Most"と呼ばれる、街の象徴の橋。



モスタルは夜景が特に綺麗。

ただこの街もユーゴスラビア紛争の際に甚大な被害を受けて、町の象徴であるこの橋も破壊されてしまった。
ユネスコの協力で2004年と最近になってやっと復元されたばかり。

橋は復元され建て直されたものの、街には未だに数々の弾丸や砲弾の爪痕が残り、廃墟と化した建物が放置されていて、旧市街から少し外れるとゴーストタウンのように荒れている。



そんな街並みを見て、少しここモスタルで起きたことを調べてみました。


【モスタルで起きた民族紛争】

モスタルでは他のヨーロッパと違いイスラム教徒が多く住んでおり、街には教会よりもモスク(イスラム礼拝堂)が多い印象でした。街並みもヨーロッパというよりは、トルコのような建物や雰囲気が感じられました。





それもそのはず、ここモスタルはかつてオスマントルコに支配されていた場所だったのです。

街の人口を見ると。

【1991年のデータ】

・ボシュニャク人・ムスリム系 - 43,930人 (34.9%)

・クロアチア人 - 42,648人 (33.8%)

・セルビア人 - 23,909人 (19.0%)

・ユーゴスラビア人 - 12,654人 (10.0%)

・その他 - 2,925人 (2.3%)

・合計 - 126,066人

で、構成されていてます。

最も多く住んでいるのがイスラム教徒のボシャニャク人で、中心の川を境目に東側にイスラム系住人が生活していていました。
次に多いのがクロアチア人のカトリック教徒で、川の西側に住居を構えていました。

居住地は違ったものの、互いの居住地は橋で結ばれ長い間平和に共存していました。

1991年までは…

ことの始まりは1991年に起きたユーゴスラビア紛争。
もともと他民族国家で7つの国が"チトー"というカリスマ的指導者によって、一つに纏められユーゴスラビア連邦が作られていました。

カリスマ的指導者のチトーがなくなると、もともと一つの国家だった国々が独立運動を起こします。
民族紛争とも呼ばれるこの紛争は、各民族が他民族を強制排除しようとする『民族浄化』が互いに行われとても悲惨な戦争となってしまったのです。

ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立宣言後の1992年から1993年に、モスタルでもクロアチア系住民、イスラム系住民、セルビア系住民による激しい民族抗争が繰り広げられました。
民族が入り混じるこの町は特に泥沼の戦いとなり、多くの住人が命を落しました。


【DON'T FORGET '93】



街の象徴のスタリ・モストが破壊されたのは1993年。
両勢力の対峙により、クロアチア勢力側によりスタリ・モストは破壊されました。

1995年戦争が終結し、再び橋は再建されますが、紛争の悲劇を忘れないように街のいたる場所に"DON'T FORGET '93"と書かれた石碑が置かれています。

同一民族の日本では考えられない出来事ですが、他民族国家で宗教も文化も人種も価値観も違う人々が一つの街に住むのはとても大変なことなんだと思う。
同じ民族の日本でさえ、考え方や育った環境の違いでトラブルになるのだから。

しかもこの戦争はつい最近の出来事ということ、僕たちと同い年の人も経験している。
そんな悲惨な出来事がつい最近起きたとは想像できないくらい、町の人々も陽気で明るく感じが良くとても居心地の良い街でした。

この国に入る前までは、ただ日本のニュースで耳にしていたくらいで、遠い国の出来事とそんなに気にもしていなかった。

旅で偶然訪れただけだが、そういうことを知るきっかけができてよかったと思う。

今現在でも世界では民族や宗教の違いで戦争は絶えない。
簡単に戦争を無くそうなんて無理なのかもしれない。
だけど、一度悲惨な経験をした人たちは、同じ過ちを繰り返したくはないはずだ。
もしかしたら、一回痛い思いをしないと人間は学べない生き物なのかもしれない。







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